INTERVIEW 会長インタビュー

会社概要・アクセス

社屋のご案内

高広木材のプロフィール

会長インタビュー

寝ぼけオヤジのひとりごと
「いい人生を送れる会社」

3代目社長(現会長)の渡辺昭の口ぐせは「社長が寝ぼけていても社員が優秀」。高広木材という会社について振り返る、ひとりごとをご紹介します。

私がここで働きはじめたのは、大学生のとき。まだフォークリフトなんてないから。トラックで運ばれてきた30トンの木材を、ひたすら肩で担いで並べるのが仕事でね。そりゃ大変でしたよ。

1975年に材木屋がみんなで移転するにあたって、うちの親父がリーダーシップをとっていたこともあって。新木場の真ん中、今の場所に構えることになったんです。今でこそ駅から30秒だけどね、当時は電車もなければバスも通ってない、食事するところもありませんでした。

プロ相手の商売だからって、最初はフェンスで囲って、駅前広場に背を向けた商売をやってたんです。一般の人は関係ないよっていうね。だけどこれからはそれじゃダメだろうってことで、レッドシダーを使った社屋に建て替えたのが1997年。いい場所を活かして、商売に合ったかたちに変えられたのが、よかったんじゃないかと思いますね。

レッドシダーを扱うことになったのは、最大の仕入先であるカナダのマックミラン社から、小口販売をやらないかと相談をもらったのがきっかけでね。いい材なのに、日本で広がってないのはもったいない。ぜひやらせてくださいって、売り先も決まってないのに在庫を持つことにしたんです。

根気よく情報発信を続けているうちに、徐々にレッドシダーの注文が増えていってね。在庫は思いきって6ヶ月分。設計屋さんがレッドシダーを使う図面を描いても、日本にないから1ヶ月かかりますってことだと、使ってもらえなくなっちゃうわけですよ。在庫を持つには覚悟がいるけど、だからこそ安定供給・安定価格で売上を伸ばすことができたということです。

天然のものなんでね、原価が上がったら我々も価格を上げざるを得ない。なかなか思い通りにいかないこともありますけど、なんとかやってきましたよ。そんなに儲かってはないけども、そこそこな商売ができている。そういう意味では、ついてたなと思いますよね。

夢中でやってきて、人にも恵まれました。なによりみんな長く働き続けてくれるしね。せっかくうちに入って働いているんだから、いい人生を送れる会社にしたい。それはずっと変わらないんですよ。30代後半で親父から経営を任されることになったとき、どういう会社にしたいかっていろいろ考えてね。やっぱり、一緒に働いている人が、いい人生だと思える会社にしなきゃいけないと、そのときに決めたんです。それをずっと貫いてきた。

会社のためじゃなくてね、自分のために、自分の人生を良くするために働いてほしい。だけどね、会社を良くしないと自分も良くならないから。自分のためにも一生懸命働く。おかげさまでね、いい会社になったと思ってます。